大河ドラマにあわせて『源氏物語』に登場する和歌をあしらった壁紙をつくりました!
壁紙に使われている和歌や登場する帖の解説もあります。
デスクトップ用とスマートフォン用があります。ぜひダウンロードして使ってみてください♪
2か月に1回更新予定です。
日本古典文学の最高傑作といわれる『源氏物語』。
その作者は、平安時代中期に生きた女性作家で歌人でもあった紫式部です。
『源氏物語』は、全54帖を数える長編で、平安時代中期を舞台に、天皇の子として生まれ、才能・容姿ともに恵まれた主人公の光源氏の栄華と苦悩の人生に加え、夕霧や薫といった次世代の人生をも描いています。
石山寺に伝わる重要文化財「石山寺縁起絵巻」には、『源氏物語』を書くことになったきっかけと伝わる話が次のように記されています。紫式部は当時仕えていた藤原道長の娘彰子から物語の執筆を命じられ、石山寺に籠っていました。7日後、琵琶湖を眺めていると物語の情景が浮かんできましたが、近くに紙がなかったので「大般若経」の裏にその物語を書きつけたといいます。
また、第16帖「関屋」の場面では大津と京都を往来するための関所、逢坂関が舞台となっており、大津市には石山寺の他にも『源氏物語』や紫式部とゆかりのあるものが多く伝えられています。
朧月夜との逢瀬が右大臣に露見し、弘徽殿大后の逆鱗に触れた光源氏は、情勢の悪化を恐れ、周囲の人々に別れを告げて須磨へと退去します。須磨に到着し、悲しみに満ちた生活をしていた五月雨のころ、光源氏は、娘の斎宮について伊勢へと下向していた六条御息所と文を送り合います。また、年が明けて春になると彼を見舞うべく、親友の三位中将が訪れました。祓の最中に暴風雨に遭い、さらに奇怪な夢をみた光源氏は須磨を去りたく思います。
娘の斎宮について伊勢へと下向した六条御息所から光源氏へと宛てたものです。「伊勢をの海人」は六条御息所を指し、「うきめ」は「憂き目」と「浮き布(め)=(水面に浮いている海藻)」とをかけています。
『源氏物語』の注釈書「河海抄」(室町時代成立)には、『源氏物語』は石山寺にて「須磨」の帖から書き始められたという伝承が記されています。石山寺から遥々と見渡せる琵琶湖の風景に壮大な長編物語の着想を得たのでしょうか。
光源氏は瘧病の療養のために訪れた北山にて、藤壺によく似た少女を垣間見ます。その少女こそ後の紫の上です。以降、光源氏は彼女に執心し、連れ出すことに成功します。また光源氏は、一時的に退出した藤壺と逢瀬を遂げ、藤壺は懐妊します。
光源氏は、幼い頃に亡くした母、桐壺更衣によく似た憧れの女性である藤壺に執心しています。ある時、北山の聖を訪ねた光源氏は、藤壺とよく似た少女(紫の上)を垣間見ました。彼女は藤壺の姪にあたり、光源氏は紫の上に興味を抱きました。
「紫」は紫草のことで、その根からは紫(藤)色の染料ができることから藤壺のことを、「若草」は紫の上を例えています。「ね(根)にかよいける」はこの二人が血縁関係にある事を意味しています。恋い慕う藤壺の血筋をもつ紫の上を、早く手に入れたいという願望が表現された歌です。
桐壺帝の寵愛を受けた桐壺更衣は、他の后からの嫉妬による嫌がらせを受けて病んでしまい亡くなります。残された皇子は臣籍に降り、源の姓を賜ります。彼こそが光源氏です。光源氏は12歳で元服の後、左大臣の娘である葵の上と結婚する一方で、亡き母に似た藤壺を密かに思慕するのでした。
光源氏の父である桐壺帝が左大臣にむけた歌で、『源氏物語』の始まりとなる第一帖「桐壺」に登場します。光源氏が元服する時、初めて髻を結う元結に、左大臣の娘(葵の上)と末永く夫婦となるよう約束の気持ちをこめましたかと問いかけています。その後、光源氏は帝の意向通り葵の上と結婚し、波乱の結婚生活を送ることになるのです。