大津市歴史博物館

展示・イベント

近現代(2)


遊覧都市 大津

 明治22年(1889)に東海道線が全通すると、琵琶湖が長年果たした水運の機能は大きく後退、替わりに風光を生かした琵琶湖観光へと力を注ぎ、多くの観光船が就航した。昭和に入ると、「遊覧都市」としての基盤整備の一環から、官民共同出資による琵琶湖ホテルを建設、また琵琶湖の四季の風光を生かした観光に力を入れるなど、戦後も京阪神を中心に多くの観光客が訪れるようになった。

琵琶湖ホテル
近江舞子

琵琶湖ホテル

雄松浜(近江舞子)の観光網引の様子

あ

大正11年就航の大型観光船みどり丸(琵琶湖汽船株式会社蔵)

    

戦時下の大津

 大津には、明治8年に歩兵第九連隊が駐屯していたが、第1次大戦後の軍縮協議により、大正14年第3大隊を残して京都深草へと移転した。その後、日中戦争・太平洋戦争の勃発により、昭和16年に大津連隊区司令部が復活、その他にも大津海軍航空隊・滋賀海軍航空隊、大津陸軍少年飛行兵学校などの軍事施設が多く設けられていた。

歩兵第九連隊
青い目の人形

歩兵第九連隊の兵舎と練兵場(本館蔵)

青い目の人形(平野小学校蔵)

    

占領軍の大津進駐

 昭和20年の敗戦により、大津の軍事施設の跡には、アメリカ占領軍が進駐。昭和27年4月のサンフランシスコ講和条約後も、大津に進駐していたが、撤退後は、昭和32年から33年にかけて順次国に返還されていった。返還後の跡地は、自衛隊駐屯地のほか、皇子が丘運動公園などに利用されている。

キャンプA地区
大津水耕農園

キャンプA地区(現在の博物館一帯)

大津水耕農園(現在のJR唐崎駅一帯)

    

戦後第1号のブリキ玩具

 戦後第1号のブリキ玩具は、大津で製造された。昭和20年12月、敗戦の4か月後に京都の百貨店で売り出されたこの玩具は、爆発的な売れ行きをみせた。製造したのは、戦時中に東京から疎開で大津にやってきた「小菅松蔵(こすげまつぞう)」という人物で、その名から「小菅のジープ」として知られている。材料は大津に駐留していた占領軍から放出された空き缶などを再利用して製造されたといわれている。

小菅のジープ

小菅のジープ(本館蔵・小澤昭氏寄贈)

    

全国初の公民館

 昭和22年5月3日、日本国憲法の施行の日に、全国初の公民館である大津公民館が開館した。同館は橋本町(浜大津一丁目)の市公会堂を改装して誕生。設立には占領軍滋賀軍政部の強い働きかけがあったという。翌年から数年間は市民の手で公民館活動を行なうべく、日本で唯一の財団法人となり、公選の理事により運営、大津の社会教育の拠点となっていった。

大津公民館
公民館活動

大津公民館(現:大津市社会教育会館)

公民館活動(ダンスパーティー)